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キリストの墓

                               青森県キリスト伝説

茨城県の神主が言い出したキリスト伝説


茨城県磯原町(現・北茨城市)の神官 竹内臣麿が「キリストの墓」であると主張した墓。

竹内臣麿は自らを竹内宿禰(日本書紀に出てくる伝説的人物)の末裔であるとし、「竹内家からは古文書の他、神武天皇よりも前の天皇の系図なども伝わっていたが、水戸空襲で焼失してしまった。しかし石に刻まれたキリストの遺言書はある」と言って、「キリストの墓」を史実化し、世間に発表しました。

竹内臣麿によると、イエス・キリストは20歳の時に初めて日本に来て、天皇の先祖から日本語や地誌を学んで修行し、33歳の時修行を終えてユダヤに帰り、周囲の人に神国日本の素晴らしさや神について語って教えたのですが、パリサイ人に反対されて磔刑に処されることになったのだとか。しかし11ヶ月違いで瓜二つの弟イスキリが身代わりになったので、イエスは弟の遺骨の一部を持って再び日本に渡り、当地を安住の地と定め、村娘ユミを妻に娶って3女をもうけ、106歳の天寿を全うして埋葬されたのだということです。

これに尾ひれをつけた本を出したのが山根キクという人で、「神国日本にはキリストだけでなく、モーセも釈迦も孔子もやって来たことがある」と主張し、墓所の主である沢口家の人々を「キリストの末裔」として紹介しました。また後にはキリストが天皇の祖先だと主張しました。

ナショナリズムが台頭する日本においては、日本が神の国で世界の中心であるという主張は、受け入れられやすい状況にあり、出版物が注目を集めると様々な人がこの村を訪れ、更に世間の話題に上るようになりました。そうした中で、このような聖書とも相反する荒唐無稽な説が有名になっていき、村ではそれを観光資源として利用するようになりました。

新郷村では、「キリスト伝説のロマン」をキャッチフレーズにし、村を通る国道をキリスト街道と名付け、毎年8月にキリスト祭を催し、キリスト餅やキリスト・ラーメンを売り出しています。


キリストの墓

キリストの墓


1935年、この村(旧・戸来村。現在は新郷村)の村役場に、茨城県磯原町の神官であるとする竹内臣麿が数人の人々を連れてやって来て、「キリストがこの村に住んでいたとされる古文書が竹内家で見つかったから調査させて欲しい」と申し出ました。

そこで村長が、「そう言えば昔、偉い人が来てこの村で死んで、丘の上に葬られたという話を聞いたな」と思い出し、一行を2つの土まんじゅうのある沢口家の墓所に案内したところ、「これこそ正にキリストの墓に間違いない」と言い出したということです。

それまで村ではキリスト教の話など一切聞いたことがなく、今に至るまでクリスチャンもおらず、昔から神棚と仏壇を飾って「南無阿弥陀仏」と言っていると、「キリストの末裔」であるとされてしまった沢口家の人々も証言しています。

今ではただの土まんじゅうだった墓の上に、大きな十字架が建てられ、沢口家の墓地は移されて、キリストとイスキリの墓だけが丘の上に残されて、一帯が公園として整備されています。公園内にはキリストの里伝承館もあり、資料を見、お土産も買うことができるなど、一種のテーマパークのようになっています。


キリストの墓
キリストの墓
キリストの弟の墓
キリストの弟の墓
キリストの墓解説板
キリストの墓解説板
キリストの墓案内
キリストの墓案内板
キリストの墓周辺地図
キリストの墓周辺地図
イスラエル政府より
イスラエル政府より
イスラエル政府より
イスラエル政府より
イスラエル政府より
イスラエル政府より



 
現地への行き方
キリストの里伝承館(三戸郡新郷村大字戸来字野月33-1)の隣にあります。


この地図は大体の位置を示すものです。訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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